【長野市に残る戦争の遺跡】松代・象山地下壕

スキーにやってきましたが雨のため、戸隠を抜けて長野市街に観光にやって来ました。

長野も雪がすごかったらどうしよう?施設も冬季休業だったりしないかな??なんて思いましたが心配無用でした。。。東京と変わらないくらい雪がない!!!

全国でも有名なお寺、善光寺のご開帳が5日から始まっているそうですが、訪れた時期は少し早く。。。

観光ではなかなか行けない場所にと、家族にリクエストしてお願いして連れて行ってもらいました。

松代象山地下壕…ご存じですか?

第二次世界大戦の終わり頃、長野の松代という場所に大本営、天皇など政府機能を移転させようと計画を立てていたそうです。

 松代象山地下壕内部の写真です。松代大本営地下壕は、舞鶴山(まいづるやま)(現気象庁松代地震観測所)を中心として、皆神山(みなかみやま)、象山(ぞうざん)に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は約10キロメートル余りに及んでいます。
 ここは地質学的にも堅い岩盤地帯であるばかりでなく、海岸線からも遠く、川中島合戦の古戦場として知られている要害の地です。
 第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省等をこの地に移すという計画のもとに、昭和19年11月11日から翌20年8月15日の終戦の日まで、およそ9箇月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、全工程の約8割が完成しました。
 この建設には、当時の金額で1億円とも2億円ともいわれる巨費が投じられ、また、労働者として多くの朝鮮や日本の人々が強制的に動員されたと言われています。
 なお、このことについては、当時の関係資料が残されていないこともあり、必ずしも全てが強制的ではなかったなど、さまざまな見解があります。
 松代象山地下壕は、平和な世界を後世に語り継ぐ上での貴重な戦争遺跡として、多くの方々にこの存在を知っていただくため、平成元年から一部を公開しています。
(上記リンクより)

元々城下町で川中島の合戦跡も近く、真田幸村など歴史的な人物とも縁が深い土地柄のようです。
また、忘れられていた遺跡でしたが、県内の私立高校性が調べて保存を市に呼びかけたというのも個人的にはツボ。
昨夏に訪れた登戸研究所とも縁があるそうです。

長野インターからも近いので、長野を訪れた際はぜひ!

象山地下壕は、トリップアドバイザーの観光ランキングでも長野で上位にランクインされています。

松代は城下町でもあるので、ところどころお屋敷など観光スポットがあり、散策するのも楽しそうです。

子どもたちはどこぞのお屋敷の鯉にはまっていた。

こちらが松代象山地下壕の受付。無料で入場できますが、どこから来たのか伝える必要があります。
しかし、こんなにひっそりとしたところに政府機関を移転しようと考えたとは。本土決戦を見越してとのことですが、どこまで戦争を続ける気だったのでしょうね。

ヘルメット着用のこと。

ガイドもなく、どんどん入っていっていいのかしら?

沖縄のガマを思い起こさせますが…構内は思いの外カラッとしていて、とても広いです。

9ヶ月のうちによくこんなに掘ったなぁと驚かされます。

照明もあるので明るいです。

ところどころ解説があります。ここで掘られた石を捨てるのも一苦労だったでしょうね…。

この工事に駆り出された人たちの多くは朝鮮人だったとのことで、慰霊塔が建てられていました。

資料館もあります。子どもが帰りたがったので諦めました。

近所にはのどかな川が。

にっぽん昔ばなしに出てきそうなお寺ですねー。

宿に帰ってから調べ直したら、他にも掘られた壕が2つほどあったようです。その内の1つ、舞鶴山の地震観測所が皇居の移転先となっていて今でも建物として使われていると知りショック!
この地下壕から車で5分位のところにあったようです。

いやー残念!!

ネットの写真でお茶を濁すことにします。
予定外の観光だったわりには新しく知ることもあったのでよしとしますか。

ではまた☆

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