東日本大震災から5年。当時の記録を見なおし、防災用品、非常食の確認!皆さんの備えは大丈夫?

[最終更新日2016.03.11]※東日本大震災から5年経ちました。当日の様子をブログに記録したものをまとめて再構成しました。ご覧いただけると幸いです。津波や原発など深刻な被害を受けた地域ではありませんでしたが、小さい子を抱える関東の我が家ではこんな状態でした。

おはようございます。東日本大震災で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。といっても、ここ川崎もいつもどおりというわけには行きません。

11日に起きてから、周囲の皆さんと対して様子は変わらないかもしれませんが、”海外旅行に行ったときは英語の必要性を感じているのにいつの間にか忘れちゃう・・・”喉元過ぎれば人間なのでこちらに記しておきます。

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3月11日・東日本大震災当日の記録

私は末娘の保育園も決まって、最後の育休を過ごしていました。

ママのためのおっぱい講座主催も終わり、少々燃え尽き気味。家で赤ちゃんとゆっくり過ごす。揺れはじめは「いつもの地震」程度だったのが「ゴゴゴ・・・」と音がして家中が揺れる。窓を開けて中庭へ。ダンナの熱帯魚水槽は揺れまくり、玄関が水浸し。バケツ1杯くらい水が出た。

すぐ、祖父母に娘を預けて保育園に向かう。この辺の地域は団地を造成した昭和40年代の建物ばかりで保育園もしかり。ついたところ、子ども達が机の中にもぐって避難していた。

保育園はメール配信システムがない。引き取った後、分かる範囲のママ友に「子どもは無事」とメール。帰る途中も大きな余震があり、地震のあとすぐに動くのも危険だと知る。

電話は通じない。メールは遅延しながらぼちぼち届いている模様。(当時、LINEはなく主要な連絡はキャリアメールを使っていました。)TVをつけたら、ヘリコプターで津波がどんどん家屋を飲み込んで破壊していく様子が放映されて呆然。

ガスが止まってしまったので復旧させる。やり方をツイート。

ダンナとはメールが通じて無事は確認できた。遅れて茨城に住んでいる義母とも連絡が取れました。電車が止まってしまい生徒も帰せないので泊まると連絡あり。幸い通常授業ではなく、部活の生徒しかいなかったので100人程度を体育館に避難させ、一泊させるとのこと。近所の店から食料調達、柔道のマットを敷き、布団を借りた。夫は職員室で、いすに座って仮眠したそうです。

母から火を使うな、といわれて夕飯はコンビニ弁当。保育園で迎えが遅れている子に食事があるか聞きに行くと備蓄はあるというのでそちらもツイート。

この地域は断水、停電などなくそのまま就寝。

3.11の気づき・安否確認について

我が家は夫婦でソフトバンク。メールは比較的通じた。通話は夜になってから。ツイッター、mixiは全く落ちずに情報収集に役立つ。ダンナにツイッターアカウント取ってもらったら安否確認方法が複数あっていいと思うんだけれどSNSやらない人。アカウント取ろうか?にもNOのお返事。。。

確かに、私も「震災に備えて車運転できるようにして」と言われてもムリ。(普段からイヤミで言われてるけどできないものはできないし)ダンナにとってSNSは、私が災害ダイヤルを「普段のやり方ではない」と思うような感じなんでしょう。

しかも、アカウント取ってるのに災害時使わなくて責められたらかわいそうすぎますね。ネットで安否確認できるのはネッ友ばかり。リアルな家族、親戚関係、保育園すらネットでは安否確認できませんでした。ううむ。

とりあえずiphoneからネットにはつながれるので、いざとなったらこのブログに安否情報でも書き込もうと思います。とはいえ、ネットがつながるならまだマシなんですよね。。。

3月12日・東日本大震災翌日の記録

夜眠れず、友達のツイッターに返したりして過ごす。かなりの人が都内から川崎、横浜に向かい歩いて帰った模様。

保育園の卒園式だったため、様子を見に早朝保育園へ。子どもは3人ほど泊まったとか。卒園式は予定通り決行!にびっくり。花屋さんの花など集まっていて、非日常と日常がごっちゃになっている感じ。朝やっと帰れたママや、まだパパが帰ってこない家などがちらほら。

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卒園式が始まり、園長先生の「震災があったけれど、皆さん無事で何より。」にみな涙。歌や子どもへのひと言などやることもあり、長男のお行儀が気になったりもして去年より涙少なめ。

子ども達の成長には感激~。長男、卒園おめでとう。小学校でも一緒にがんばろう!

ダンナは9時過ぎ解散命令が出たが、途中3本電車乗り継ぎなので乗換えがスムーズでなく、我が家が退場最後だったけれど間に合わず、退場後すぐに保育園に到着。残念。

ある意味思い出に残る卒園式になったかも。

午後はダンナに休んでもらい、3年ぶりに会う予定だった高校時代の友達と再会。このブログを読んでくれていて、共働きと境遇が似ているので会話がとっても盛り上がる。電車は15分間隔で運行しているので移動にも一苦労でした。

3.12の気づき・日常をすごすこと

卒園式!?えーーーって思いましたが、あまり非常時と意識しすぎて過ごすのもあまり精神衛生上よろしくないですね。

普段どおりの日常を送れることの幸せに気がつきました。

ダンナとも無事会えて、日付をまたぎながらも家族揃ったのも何より。

テレビは映像が精神的にダメージが大きそうでたまに見ることにして、主にラジオ、j-waveを聴く。情報はツイッター、ネット。でもこれ信憑性が低いのでは?ソースは?と思うことや、何日も何度もリツイートされている情報がTLに並んだりしてツイッター疲れすることも。やりすぎには何事も注意。チェーンメールも届いたりしてました。善意なんだけどね。

この日は特に買い物にも行かず、電車も動いているから今後も何とかなるかな?とのんきに構えていました。

3月13日・東日本大震災3日目の記録

もう3日も前ですか!ネット友達と予定していたイベントも延期。家族揃って家で過ごしました。

近所のスーパーはこの頃、入場制限はしていませんでした。でも水、パン、納豆、麺類、卵は全くない。米は品薄。生鮮食料品は結構ありました。

とりあえず本当に足りないものだけ購入して帰宅しました。

夜から計画停電や、電車が動かないかも、という報道を聞いて「思ったより今後影響が長引くかも・・・」と不安になりながら床につきました。

「震災時にすべきこと」が当時拡散されていました。

阪神淡路大震災の経験から、皆さんに伝えます。

  • 地震が起こったら、必ず窓を開けてください。そして、家にいる人は、今、お風呂に水をためてください。まだ、電気が通じる人は、ご飯を炊いてください。
  • X字の亀裂が入っているとこはすぐに崩壊するから注意!
  • 携帯と充電器、ラジオ、ペットボトル水必要!
  • ヒール履いてる人は折る!
  • 食料は最低3日間は自立しなきゃいけない。トイレは基本ないからビニール袋を。
  • 火事などの2次災害に注意!
  • パニックになったら周りもパニックになるからしゃがんで「落ち着いて!」と叫ぶ。
  • ストッキング履いてる女性はできるだけ脱ぐ。火傷したら広がるから。
  • ナプキンがいい止血帯になるから覚えておいてください。
  • 安否確認はダイアル171!
  • できるだけ安否確認で電話は使わないで!救急ダイアルが混乱するから。
  • あったらいいもの お金 水 ペンライト お菓子 携帯 応急セット ハンカチ ティッシュ
  • 被災者のために持っている情報を無駄にしたくないので日記にコピペして拡散してもらえると助かります。
  • テレビのむこうだけをじっと眺めているだけではいけない。
    追記 屋内の場合
    ●家の中
    ・テーブルの下にもぐる(無理なら座ぶとんなどで頭を守る)
    ・ガラス片が危険なため、素足で歩かない。
    ・火の始末はすみやかに。
    ●デパート・スーパー
    ・バッグなどで頭を保護。
    ・ショーウインドウや売り場から離れ、壁際に。
    ・係員の指示に従う。
    ●ビル・オフィス
    ・机や作業台の下にもぐる。
    ・ロッカーなど大型備品の転倒、OA機器の落下に注意。
    ●集合住宅
    ・ドアや窓を開けて、避難口を確保。
    ・エレベーターは絶対使用しない。避難は階段で。
    屋外の場合
    ●路上
    ・かばんなどで頭を保護し、空き地や公園などに避難。
    ・ガラスや看板などの落下に注意。
    ・建物、ブロック塀、自動販売機などには近寄らない。
    ●車を運転中
    ・ハンドルをしっかり握り徐々にスピードを落す。
    ・道路の左側に車を寄せ、エンジンを切る。
    ・避難するときは、キーをつけたままに。
    ・車検証や貴重品は携帯する。

3月14日・東日本大震災4日目の記録

最寄の電車は終日運休。ダンナ出勤できず。

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保育園も先生達が揃わないのでお休みさせました。子ども達が退屈してしまうので散歩していたら、保育園のお友だち家族と会いました。

「近所のスーパーは開店前から人が並んで入場制限してるよ~」

「親が飲食店やってるけど材料が届かないから朝、北部市場まで行ってきたよ。お米はなかったよ」

など、情報交換の会話がはずむ。日中にしては人が多く出歩いていて、何か食べ物が手に入れば・・・とお店に人が多く集まっていました。。

こんな感じ。

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ホームセンターも、懐中電灯、乾電池など停電に備えた品物が棚から消えていました。

幹線道路は車全く動かず。ガソリンスタンドは長蛇の列。物流、大丈夫か・・・?!

我が家は米などパルにお願いしているので連絡を取ってみたら、配送車はもう出発したとのこと。ガソリンではなくガスで動いているので、燃料不足で走れないということはなかったらしい。こういうときの宅配サービスは本当にありがたい。特に子持ちの人にとってはライフラインに匹敵すると思っています。

私が取ってる生協はこちら。>>インターネットで注文OK!生協の宅配パルシステム

おうちコープも人気があります。>>生協の宅配「コープデリ」・「おうちコープ」

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荷物が家に届いたときの嬉しさと言ったら!欠品1つもなく無事届きました。この日ほど品物がちゃんと届くことに感謝した日はないです。

しかし、全然本なんて読む気がせず、なにか買いたいという気も起きません。これが皆、長期間続いたら経済はどうなってしまうのかしら?!

3月15日・東日本大震災5日目の記録

ダンナ、なんとか職場へ。3線乗り継ぎで2本目が積み残しが出るほど込んでいるので仕方なく多摩川べりを1時間歩いてなんとか職場に到着したらしい。そこまでして職場に行く意味あるのか?!

こちらは保育園が食料が届かずお弁当と水筒になる。かといって家庭に食料が豊富なわけでもなく・・・。午前中だけでも保育園でお友だちと遊んでもらう。

年長の息子の新江ノ島水族館の遠足中止。本当はロマンスカーで行く予定だったのだけれど・・・残念。週末の卒園お別れお泊まり会も中止!遠足もお泊まり会もいつかリベンジしましょう!とメールいただく。

ほか、仲の良いママさんから「ここで野菜売ってるよ!」「困ったときはお互い様、声かけてね!」など連絡いただく。涙

ダンナの週末社員旅行in箱根も中止。こんな状態なので仕方ありませんが、経済的な復興が出来るかも心配です。

ネット友のママさん、実家が西日本の方はどんどん疎開しています。うち、疎開先ないんだよねーってつぶやいたら福岡に里帰りしているネット友さんから「うち来たら!」と声かけていただきまた涙。

よく考えたら、いま誰かに手を差し伸べられる余裕が自分にかなり少ないことに気がついた。ちなみに、現在に至るまでこちらは停電なし。予定もなく家で過ごしています。

振り返ってみて、いまやるべきこと

東日本大震災から5年。原発の問題などを抱えながら、被災者の支援など思いの外進んでいないなと思う部分もありながらも少しずつ震災のことを忘れがちになっている自分に気が付きました。

忘れないためにもう一度思い出そう!という人は、この本がとてもおすすめ。震災の8年前から釜石に通い続け、「震災は必ず起きる」と子ども達に津波の恐ろしさを伝え、防災に努めていた大学の先生による防災本です。この教えがあって「釜石の奇跡」となったんですね。

忘れがちと言っても、普段持ち歩く通勤カバンは歩きやすいようリュックが中心ですし、キーケースにはビクトリノックスの携帯ナイフをつけています。(飛行機に乗る時は外しています。)歩いて帰れるよう、ペタンコ靴で通勤しています。(ズボラとも言うが…)

この震災をきっかけに、非常食や避難用品を整備してきました。実家には避難セットがあります。

我が家はキャンプ用品を避難用品に転用する予定。

非常食は5年が賞味期限になっています。見てみないふりをしてきましたが、今年買い直しをする年じゃないですか!!!

どうやって消費するか考えてみたいと思います。当時購入した避難用品、非常食はこちらです。

↓5年持つビスコ缶。

↓こちらのアルファ米のご飯も5年持ちます。水、お湯があればご飯になりますよ。

↓コンパクトで、手軽にエネルギーがとれる羊羹。その名も「えいようかん」!

↓水は、携帯しやすい500mlペットボトルがおすすめ。成人1人あたり3L必要だそうです。最低3日分は用意しておきましょう。

↓いざとなったら水槽や浴槽の水を飲料水にろ過できる携帯浄水器。

↓断水時のことも考えて、汚水を固めて袋に保存できるようにしておくのが良さそうです。

↓子育て中の世帯には特に!災害時のライフラインになります。

私が取ってる生協はこちら。>>インターネットで注文OK!生協の宅配パルシステム

おうちコープも人気があります。>>生協の宅配「コープデリ」・「おうちコープ」

「私達が生きているときに震災は来ない」という保証はありません。「災害は今後も起きる」と意識して各々が備えるようにしたいですね。

関連記事:

震災の翌年、家族で被災地を訪れました。>>被災地を旅する、という支え方。2012年夏、二泊三日子連れ東北旅行記録です。

ではまた。