【数学からは逃げられない!】本・コンピューターが仕事を奪う

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勝間さんのサポートメールに、
「ロボットは東大に入れるか」
という本のレビューがあり、図書館でこちらの本が借りられたので気になり読んでみました。

コンピューターが仕事を奪う

数学者である作者が、コンピューターは何が得意で何ができないかということを明らかにしてくれます。

人間にしか出来ない仕事は何であるのか分からないと、どんな仕事を選ぶべきなのか分からないですからね…。

今後の日本の教育はどうあるべきか?といった内容にも踏み込んでいて、読んでいて興味深かったです。

スパッと割り切れるでもなく、今後も考えてみたいテーマでした。

<なるほど!メモ>

◆コンピューターに仕事をさせるには

コンピューターに何ができて何ができないのかをまず知る必要がある。

限られた探索空間(たとえば、チェスの駒)における思考は、それが人間にとってはどんなに芸術的、神がかり的に見える思考であっても、比較的単純なコンピュータープログラムにもかなわない。

なぜ、プログラマーを目指している訳でもないのにそんなことを理解しなければならないか?
21世紀を生きるホワイトカラーは、プログラマーに対して「こんなシステムを作りたい」と発注する立場に立つ可能性があるから。

2年ほど前、「世の中にある、意味のあるデジタルコンテンツを自動的に集められる仕組みを作れないか」という相談があったがコンピューターがそれを自力で判断することはあり得ない。

◆人間に追いつくコンピューター

Jabberwackyは、ウェブ上でコンピューターと会話ができる。

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意味を理解して、それに対しての適切な処理をしなくても、アウトプットとしての反応が妥当であれば知的に見えてしまう。

コンピューターは、1テラを聞いて10を知る、と言ったようにたくさんのデータの中からアウトプットを出すことはできるが、例えば写真から意味を見出すことはできない。

コンピューターの苦手な意味づけ…タグ付けのために下働きをする人間も現れている。
世界のどこでもできるため、賃金は最低レベルである。

◆数学が文明を築いた

コンピューターを媒介にして、ここ20年ほどで私たちと数学の距離が縮まっている。

データはしばしば鉱山に例えられるが、財を実際に掘り出してくれる機会であるコンピューターはプログラムしか理解できず、プログラムに落とし込めるものは基本的に数学の概念の一部に過ぎないから。

古代の遺跡を見ると、様々なところで数学の痕跡が見つかる。

大規模な農耕によって、有る程度の規模の人口を支える必要が生じた時、人類は未来を予想する技術が必要になった。
それに伴って、最初の数学は生まれた、私は考えている。

旧約聖書の中では、人口調査をしたダビデ王は神の怒りを買った。
未来を神に任せて、見えないものは見えないままでいる大勢の人たちの中に、未来を予測でき見えないものを見る技術を持った人が現れたら、その技術は未来が見える人に強大な権力と巨万の富をもたらす。

古代オリエントの時代からの論理より知識という流れを変えたのが数学に論理をもたらしたギリシャ人である。
多様な文化圏が国を作っていたので、論議の中で常識や慣習をそぎ落として論理に行き着く必要があった。

◆数学で読み解く未来

数学は、未来予測をするためのもの。

今後、人口が爆発的に増える中、それだけの食料を準備するのにまた数学が必要になってくる。

20世紀と21世紀の大きな違いは、手に入るデータ量とそれを計算するためのコンピューターの性能が圧倒的に違うということ。

データは、私が5年前に何を検索していたか知っていて、支配どころか心地よさを感じている。
21世紀前半の世界は、間違いなくデータを蓄積した企業とそれをうまく利用した企業に有利な世界である。
消費者はコンピューターを通じて直接生産者につながるだろう。

機械化が進んでいる第一、二次産業と、身体化が不可欠な一部の第三次産業の他は、消えてなくなる可能性がある。

◆私たちは何を学ぶべきか

個人的には、現在のホワイトカラーの半分弱をコンピューターが担うようになるだろうと想像している。

ホワイトカラー とは – コトバンク


09年に、時間内に解くならどっち?と数独とクロスワードパズルを選択肢にあげたところ、数学と現代国語が得意な人が数独を選ぶ傾向があった。

数独は答えが必ず出るが、クロスワードパズルはその知識を知らなかった場合そこでアウトになる。

小学校では、演繹的な能力よりも帰納的な能力が高いほうがうまく振る舞うことができる。
経験や観察から、教室内における書かれていない規範を見抜き、望まれている行動を低学年のうちから比較的容易に行うことができるから。

しかし、帰納だけに頼る問題解決方法は、高学年の算数、比と割合が登場したときに破綻する。

なぜ日本の教育はは暗記と計算力に力を注ぐか?
日本が世界の科学の歴史を決定づけるような真に革新的な技術を日本が開発した例はほとんどないから。
残念ながら、外から入ってきた科学技術を覚えて実際に使う能力で差別化し、富を生み出すことは年々難しくなっている。

文系理系という分け方ではなく、
教育は、論理系と暗記系に分かれるのではないか?

<終わりに>

メモがとても長くなっちゃいました!!
それ位、どこも自分にとって心に残っている…という感じでしょうか?

数学が未来を見通すためのもの、というのは目からウロコでした。

しかし、自分も含めてコンピューターに仕事を奪われそう。
子どもにも、コンピューターが出来ないことを身につけさせる必要がありそうです。

と言っても自分もホワイトカラーと言えるのか微妙、今仕事で出会っている子どもたちも身体化が不可欠な接客業につく子が多そうなので心配しなくても良いのかしら??
機械化された製造業に就職していた子どもたちの行き場はもうないのかなぁ。
我が子の子育てもどうしたらいいのか悩みますね。

こちらも読んでみます!

ではまた☆

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ぴーたん

共働きで小学生、保育園児の3児の母です。2016年はブログに本腰を入れるためオンラインサロンに入りました。子育て、お買い物、お出かけ、ビジネス書の書評など、自分の経験から皆さんの生活を豊かにするお手伝いをしたいと考えています。よろしくお願いします(*^^*)!